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師との出会い

  • infodekaban
  • 3月19日
  • 読了時間: 3分

更新日:4月3日




2025/4/3追記 私が幻の魚、石鯛の存在を耳にしたのは28歳のことで、当時は釣りがブームが巻き起こり、私は鯉釣りに夢中でその引きの強さに魅了されていた。 そんな折、友人から石鯛の話を聞き、引きは強烈で、そうそう釣れない魚ということを聞かされた。 私は「石鯛と言えども、たかが魚やないか」と石鯛を甘くみていた。 その後、石鯛を釣ってやろうと釣りクラブに入会したが、先輩たちでさえ石鯛はそうそう釣れるものではなく、幻の魚の意味を知った。 ある団体が主催する大会の表彰会場で5匹(5Kg以上)の立派な石鯛が眼に映り、私に衝撃が走った。 「クソッ」と声を漏らし、なぜ釣れないのか自問自答、苦悩の日々が続いた。幾多の釣り雑誌を読みあさり、自分なりに勉強し釣行を繰り返した。 ある雑誌の中には「潮を釣れ」とあったが、意味も解らず、周りに聞いても解る人などおらず、教えてくれる人もなかった。 苦労の末、ようやく釣れたのは3Kgに満たない石鯛ばかりで、満足がいかなかった。 更に衝撃を受けたのは海沿いにあるレストランに行った折、店内に展示されている水槽に 10Kgはあろうかと思われる口白イシダイが悠然と泳いでいるのを観た時だった。 私にとって、生涯これほどのインパクトは受けたことがなかった。さらに石鯛への情熱は燃え上がり、いつか仕留めてやろうという執念に変わっていった。 来る日も来る日も、必死に釣雑誌を読みあさり、クラブ仲間と情報交換をしたが、一向に答えは出なかった…

苦悶の日々が続いたが、ついに私に転機が訪れる。 「弟子に準備が出来た時、師は現れる」 追記:

恩師小川氏との出会いは昭和43年2月に遡る。

宮崎県油津に釣行した際、釣友の先輩が偶然そこに居合わせた小川氏を見て 私に彼こそが日本一の石鯛釣り師として有名な方だと教えてくれた。 そんなことならと、話を聞こうと友人も一緒に誘ったが体よく断られたので 私一人で話を聞くことに。 恩師小川氏に石鯛の釣り方を教えてくださいと言うと、快く承諾してくれて

実際に一緒に釣りに行くことになった。 (その詳細はブログ内”持ち竿スタイル”にあります) その後、試行錯誤でようやくコツをつかみ、1匹を獲ることに成功した。 恩師は九州ダイナミックの”ヤッケ”と”金バッチ”を私に手渡しニヤリと笑われた。 恩師小川氏の話は全てが「点」であり、それを自分で「線」にしろと言うのである。 彼が出した課題は以下の通り。 ①石鯛は潮を読め

②1秒での切り返し

③レンガ2枚重ねたものを石鯛と見立ててポンポンと上げてみろ

④軍隊の折れ式を駆使すること

⑤掛けた魚はバラさないこと

⑥その他 これらは私なりに「線」にしたものをホームページで解説しておりますので、ぜひ一度ご覧ください。


宮崎の油津で以前会った、恩師小川氏が北九州より大阪に到着にしたとのこと。 ホテルに来るようにと私に電話が入った。 私は感激し、喜び勇んで仲間と急いでホテルへと向かった。 ロビーで対談することになり、私の抱いている疑問の全てを彼にぶつけた。 頭脳明晰な師は、いともたやすく、全てに簡潔に答えてくれた。 私はとても興奮し、驚きと感動に包まれた。そして翌朝、彼は何も告げずチェックアウトし、独り帰路につかれた。 九州男児の侠気を見せつけられ、彼の真似は到底出来ないと思い知らされた。

そして、この日より私も石鯛戦争への仲間入りを果たした。

 
 
 

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